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神田明神かんだみょうじん

神田明神(かんだみょうじん)は、東京都千代田区外神田2丁目16番2号にある神社です。まつられているのは大己貴命・少彦名命・平将門命。社格は旧准勅祭社、旧府社、別表神社。創建は伝天平2年(730年)と伝わります。

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この社のはじまり

東京の神田明神って、平将門をまつっているんだよね。

その平将門は、110年ものあいだ、このやしろの祭神から外されていました。

本殿へ戻ったのは1984年。外されたのは、その110年前の1874年でした。

明治天皇がこのやしろに参拝することになり、朝廷にそむいたとされた将門は本殿から外されたのです。

かわりに、茨城の大洗から、すくなひこなのみことを迎えたのじゃ。

このやしろのはじまりは730年。出雲の氏族が、おおなむちのみことをまつったのが最初です。

じゃあ将門は、あとから加わったんだ。

1309年じゃ。疫病がはやり、それを将門のたたりと考えた人々が、ここにまつったと伝えられておる。

1616年、このやしろは江戸城から見ておもて鬼門にあたる、いまの場所へ移り、江戸の総鎮守となりました。

そして1984年。110年ぶりに、将門は本殿へ戻ります。いまは三ノ宮の神様です。

戻ったの、そんなにむかしの話じゃないんだね。

行くなら本殿の三ノ宮です。その社殿は1934年に建てられた鉄筋コンクリートです。東京大空襲でも焼け残りました。

恐れられた者を、神として迎える。この国は、ずっとそうしてきたのじゃ。

この社のこと

信仰されてきた願いごと

その社が、どんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありません。

これはまつられている神さまから整理したものです。
・大国主(大己貴)…国づくりと医薬の神。縁を結ぶ神としても知られる。
・少彦名…大国主とともに国をつくった、薬と酒の神。
社の公式に案内がある場合は、そちらが正しいものとお考えください。

この社の特集

移された社

神田神社(神田明神)

江戸城が広がるたびに

二度も引っ越した

はじまりは芝崎村(いまの大手町のあたり)。 江戸城の増築で、1603年に神田台へ移された。 さらに1616年、いまの湯島の台地へ移された。 以後、江戸の総鎮守とされ、 神田祭の山車は城の中まで入った。

創建は730年と伝えるが、年代には諸説あります

出典

①「110年」は1874年(摂社へ遷座)から1984年(本殿へ復座)までの年数。②1309年の合祀の理由を「疫病を将門の祟りと考えたから」とするのは伝えられている説で、公式は年(延慶2年)と奉祀の事実だけを記している。だから本編[08]は「と伝えられておる」と言っている。③将門公は明治7年に祭神から外されたが、境内の摂社(将門神社)で引き続きまつられていた=まつるのをやめたわけではない。本編[04]は「本殿から出されました」と言い、テロップで「境内の摂社へ」と補っている。④「朝敵」「逆臣」という当時の扱いをそのまま説明しているだけで、平将門という実在の人物への評価は語っていない。⑤大手町の将門塚については、工事のたびに事故が起きたという話が広く伝えられているが、確かめられる一次史料に当たれなかったので本編では扱っていない。⑥社殿は正しくは鉄骨鉄筋コンクリート造。本編[12]は音で分かりやすいよう「鉄筋コンクリート」と言っている。⑦ご利益は約束していない。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけていない。神様の姿も描いていない。政治的な評価もしていない。

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このページの決めごと

・社の由緒として書いているのは、社の公式の由緒・自治体の公式の案内・文献や発掘でわかっていることだけです。出典は全部このページに載せています。

・わかっていないことは「諸説あります」と正直に書きます。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけません。特定の社への参拝を呼びかけることもしません。

・「信仰されてきた願いごと」は、その社がどんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありませんし、社に順位もつけません。

・住所・主祭神・社格・創建・交通は、ウィキペディア日本語版の各記事(Template:神社の欄と代表座標)から機械的に取っています。おでかけの前には、必ず社の公式でお確かめください。