神社のはじまり

神社のはじまり > 全国の神社マップ > 東京都 > 日枝神社

日枝神社ひえじんじゃ

日枝神社(ひえじんじゃ)は、東京都千代田区永田町2丁目10番5号にある神社です。まつられているのは大山咋神。社格は官幣大社・別表神社。創建は不詳(鎌倉時代)と伝わります。

動画で見る

この社のはじまり

東京の日枝神社に、将軍が見た祭りがあるの?

このじんじゃ。東京都千代田区にある、山王さまとよばれるやしろです。

寛永12年、家光公が、城の高台からその行列を見たのじゃ。

将軍が見た神輿は、江戸城の中に106回も入ったと伝わります。

どうして、神輿がお城の中に入れたの?

歴代の将軍が見物する祭りとして、江戸幕府がみとめていたのです。

だから、この祭りは天下祭と呼ばれてきたのじゃ。

山車のかずは55本、氏子の町は160をこえました。

どうして、狛犬じゃなくて、猿がいるの?

御祭神の使いは、まさるという猿だと伝わるのじゃ。

境内には、狛犬でなく、子を抱いた母猿と父猿が置かれています。

訪れたら、社殿の前に立つ、そのまさるの像を見てください。

魔が去る、勝るに通じる、縁起のよいお使いなのじゃ。

この社のこと

信仰されてきた願いごと

その社が、どんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありません。

これはまつられている神さまから整理したものです。
・大山咋(山王)…山と土地の神。都の鬼門を守る神とされた。
社の公式に案内がある場合は、そちらが正しいものとお考えください。

この社の特集

移された社

日枝神社(千代田区)

江戸城の中にあった社が

三度うつされていまの永田町

文明十年、太田道灌が川越から勧請した。 徳川家康が江戸に入ると、城内の紅葉山にうつされ、江戸城の鎮守となった。 慶長九年からの城の建て直しで、こんどは城の外の麹町隼町へ。 明暦の大火で焼けたあと、万治二年、 将軍家綱が家臣の屋敷地を召し上げて、いまの星が岡へうつした。

祭神は大山咋神で、もとは近江の日吉大社の神です。 川越の仙波日枝神社を通って江戸へ来ました。

出典

「天下祭」の由来(家光公の上覧・寛永12年)は山王祭公式サイトの記述。神幸行列の詳しい経路・毎年の開催有無は変わりうるため、本編では触れていない。/神輿の城内渡御「106回」・山車「55本」・氏子「160余町」は山王祭公式の記述をそのまま使い、年ごとの増減や現在の隔年開催の詳細は言っていない。/主祭神は大山咋神のみ名を出し、相殿の国常立神・伊弉冉神・足仲彦尊は本編で名指ししない。/神猿の由来・置かれている位置(向かって左に母猿、右に父猿)は山王祭公式の記述による。/徳川家康・徳川家光については、人物評はせず、江戸城・祭りとの関わりの事実のみを言う。/画像はAIで作った再現イメージで、実物の写真ではない。

ほかの社を見る

東京都の神社

今戸神社大國魂神社富岡八幡宮小河内神社小網神社小野神社愛宕神社明治神宮東京大神宮根津神社水天宮浅草神社

同じ願いごとで信仰されてきた社

北海道神宮盛岡八幡宮大崎八幡宮鹽竈神社太平山三吉神社鳥海山大物忌神社鹿島神宮一之宮貫前神社氷川神社香取神宮

全国の神社マップへご利益マップへ

このページの決めごと

・社の由緒として書いているのは、社の公式の由緒・自治体の公式の案内・文献や発掘でわかっていることだけです。出典は全部このページに載せています。

・わかっていないことは「諸説あります」と正直に書きます。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけません。特定の社への参拝を呼びかけることもしません。

・「信仰されてきた願いごと」は、その社がどんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありませんし、社に順位もつけません。

・住所・主祭神・社格・創建・交通は、ウィキペディア日本語版の各記事(Template:神社の欄と代表座標)から機械的に取っています。おでかけの前には、必ず社の公式でお確かめください。