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春日大社かすがたいしゃ

春日大社(かすがたいしゃ)は、奈良県奈良市春日野町160にある神社です。まつられているのは春日神(武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神の総称)。社格は式内社(名神大) 二十二社(上七社) 旧官幣大社 勅祭社 別表神社。創建は神護景雲2年(768年)と伝わります。

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この社のはじまり

奈良の春日大社で、菊の節供に、おこうをささげるって本当?

かすがたいしゃ。奈良県奈良市の、奈良公園の東にあります。

毎年、じゅうがつここのかの、ちょうようせっくさい。はじまりは1101年です。

午前10時、本殿で、古いかたちのしんせんをそなえて、世の平安をいのります。

おこうは、いつささげるの?

祭典に続いて、けんこうのぎ。こうどう、しのりゅうの家元が、おこうをささげます。

この祭りは、菊のせっくとも、いわれます。

ちょうようは、宮中の節供でした。むかしの宮中では、菊の宴がひらかれました。

むかしのこよみの、くがつここのか。きゅうが二つ重なる日なのじゃ。

この祭りは、宮中から最初に移された、せっくのまつりとされています。

午後には境内で、もんこうのかいがひらかれます。

行ったら、さんぱいじょに立ってください。けんこうのぎは、ここから拝観できます。

菊のせっくの、じゅうがつここのか。神さまへ、おこうがささげられるのじゃ。

奈良の春日大社。鹿が、そこらじゅうにいる。なんで、あんなに大事にされてるんだろう。

場所は、奈良県の奈良市。近鉄奈良駅から、春日大社本殿ゆきのバスに乗って、終点でおります。奈良公園の、東のはしです。

このやしろでは、鹿は神様のおつかいで、しんろく、と呼ばれてきました。

うちの神様はな、白い鹿の背に乗って、はるばる来なさったのじゃ。

来たのは、茨城の鹿島神宮の神様、タケミカヅチ。奈良の、みかさやまの頂きに降りたと伝えられています。

茨城から奈良まで、鹿に乗って来たんだ。

いまの場所に社殿が建てられたのは、西暦768年。平城京を守る神として、まつられました。

それから、鹿は神のつかいとして守られてきました。江戸時代には、鹿を傷つけた人に重い罰があったと伝わります。

千二百年、ずっと守られてきたんだ。

しかのつのを切る、つのきり、という行事も、1672年に始まったと伝えられます。人と鹿が、つのでけがをしないための、まちの知恵でした。

奈良公園の鹿はな、1957年に、国の天然記念物になったのじゃ。いまも野生のまま、まちでくらしておる。

行ったら、春日大社の本社のそばにある、みかさやまのうきぐもみねの遥拝所を見てください。神様が白い鹿から降りたと伝わる山を、まっすぐに拝む場所です。

ただ鹿がおるのではない。神様のおともが、いまもここにおる、ということじゃ。

この社のこと

信仰されてきた願いごと

その社が、どんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありません。

これはまつられている神さまから整理したものです。
・武甕槌・経津主…剣の神。国ゆずりの伝えに出てくる。
・天児屋根(春日)…祝詞(のりと)をとなえた神。藤原氏の氏神。
社の公式に案内がある場合は、そちらが正しいものとお考えください。

この社の特集

祀られた神

春日大社

四つの社に並ぶ神は

四つの土地から呼ばれてきた

奈良の御蓋山のふもとに、四棟の本殿が横に並ぶ。 社伝では768年、常陸の鹿島から武甕槌命を第一殿に、 下総の香取から経津主命を第二殿に、 河内の枚岡から天児屋根命と比売神を第三殿・第四殿に迎えたという。 四柱ともよそから勧請されて、ここに並んだ神である。 全国およそ三千社の春日神社は、この社を本社とする。

710年に藤原不比等が鹿島の神を移したのが始まりとする説もある。近年の発掘で、768年より前からこの地で祭祀が行われていた可能性も出ている。第四殿の比売神を天照大御神とする説もある。諸説あります

祭りと神事

春日大社

明かりを消して、

神を運ぶ

春日大社の摂社・若宮の祭り。 1136年に始まったと伝えられる。 神を移す遷幸と還幸のあいだは、 明かりも写真も、いっさい禁じられる。

毎年12月17日を中心に数日間。 延期や中止をはさみながら890年ちかく続いている。 奉納される芸能は1979年に国の重要無形民俗文化財に指定された

出典

時刻は公式の年中行事の「10時」。献香は「引き続き」とだけあり時刻は書かれていないので本編では時刻を言わない。/見学は公式の「献香之儀は参拝所より拝観可」だけを言う。祭典(神饌を献じる儀)の見学の可否は言わない。/なぜ春日大社では10月9日(新暦の月遅れか等)なのかは公式に書かれていないので本編では言わない。/「宮中より最初に移された節句祭」は公式の書き方どおり「とされています」で言う。/祭神の名前は出さない(神様の絵を使わない)。神霊・ご神体は描かない。/中断・再興の有無を確かめていないので「〜年つづく」とは言わず「はじまりは1101年」とだけ言う。/絵は説明用の挿絵で、実物の写しではない(装束・香炉・神饌の形は実物と細部が異なる)。
①白い鹿に乗って来たという降臨は社伝(言い伝え)であり、史料で確かめられる出来事ではない。本編04・05・12でも『伝えられています』『と伝わる』と伝聞で止めた。②創建年768年は公式の由緒に記された年で、それ以前から御蓋山が神の山として拝まれていたとする説もある(諸説あります)。③江戸時代に鹿を傷つけた者への罰が重かったことは奈良奉行所の触書や逸話として伝わるが、有名な『鹿を殺すと死罪・石子詰』の話は後世の伝説とされる。本編08では罰の中身を言わず『重い罰があったと伝わります』にとどめた。④鹿の角きりの起源1672年も奈良の鹿愛護会の説明にもとづく伝承。⑤鹿の頭数は年によって変わるので本編では数を言っていない(天然記念物の指定年だけを述べた)。⑥鹿は野生動物なので『餌をやってよい/いけない』などの作法や是非は言わない。ご利益も約束しない。⑦藤原氏の氏神である点は事実だが、氏族や人物への評価は語らない。

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このページの決めごと

・社の由緒として書いているのは、社の公式の由緒・自治体の公式の案内・文献や発掘でわかっていることだけです。出典は全部このページに載せています。

・わかっていないことは「諸説あります」と正直に書きます。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけません。特定の社への参拝を呼びかけることもしません。

・「信仰されてきた願いごと」は、その社がどんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありませんし、社に順位もつけません。

・住所・主祭神・社格・創建・交通は、ウィキペディア日本語版の各記事(Template:神社の欄と代表座標)から機械的に取っています。おでかけの前には、必ず社の公式でお確かめください。