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橿原神宮かしはらじんぐう

橿原神宮(かしはらじんぐう)は、奈良県橿原市久米町934にある神社です。まつられているのは神武天皇・媛蹈鞴五十鈴媛命。社格は旧官幣大社 勅祭社 別表神社。創建は1890年(明治23年)と伝わります。

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この社のはじまり

奈良の橿原神宮、本殿は京都から来たの?

橿原神宮。奈良県橿原市の、うねび山のふもとにある神社です。

その本殿は、1855年に京都御所で建てられた建物を移したものです。

御所の中で、神さまをまつるための、大切な建物でした。

京都の御所から、奈良まで移されてきたのじゃ。

でも、どうして御所の建物を奈良に移したの?

ここは、最初の天皇が即位したと日本書紀に書かれた、みやのあととされる地です。

神社ができる前、そのみやのあととされる所は、畑でした。

1889年に神社づくりが認められ、御所の2つの建物がおくられました。

もう1つの建物は、はじめは拝殿として使われたのじゃ。

1890年に神社がうまれ、本殿はのちに、国の重要文化財になりました。

参拝したら、外拝殿の前の広場から、社殿のうしろのうねび山を見てください。

御所の建物が、いまも奈良で神さまをまつっておるのじゃ。

この社のこと

信仰されてきた願いごと

その社が、どんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありません。

これはまつられている神さまから整理したものです。
・神武天皇…初代とされる天皇。
社の公式に案内がある場合は、そちらが正しいものとお考えください。

出典

待ち行列の言い切り「壊さずに運んだ。だから今も残っている」は、公式・橿原市・文化庁系の記述に「解体せずに運んだ」とする根拠が見つからない(公式は「下賜」「移築」とだけ書く)。移築は解体して運ぶことも多いため採らず、公式で言える「1855年に京都御所で建てられた建物を移したもの」に変えた。/本殿のもとの建物名は、公式は「内侍所」「賢所」、橿原市は「内侍(ないじ)所」とルビを振る。本編は建物名を読み上げず「御所の中で神さまをまつるための大切な建物」とだけ言う。まつられていた神名(公式は天照大神の御霊代)も本編では言わない(写実の神様部品が無いため)。/御祭神(神武天皇・媛蹈韛五十鈴媛皇后)は本編で名指ししない。07は「最初の天皇が即位したと日本書紀に書かれた、みやのあととされる地」とし、伝承・推定地であることを「とされる」で示す。天皇・人物の評価はしない。/10「もう1棟は、はじめは拝殿」=神嘉殿。公式は昭和6年に現在地へ移築し、平成8年(1996)に再建されたのが今の神楽殿とする(Wikipediaは1993年焼失)。本編は「はじめ拝殿として使われた」までにとどめ、今の神楽殿が同じ建物だとは言わない。/1889年の「認められ」は創建の認可(公式「明治22年(1889)神社創建を認可」)。「おくられた」は公式の「下賜」の言い換え。/12の外拝殿は昭和14年(1939)の建物で、本殿そのものは外拝殿からは見えにくい(公式は外拝殿から内拝殿の屋根越しに幣殿の千木・鰹木が見えると書く)。12は本殿を見てとは言わず、社殿のうしろの畝傍山を見る案内にした。/画像はAIで作った再現イメージで、実物の写真ではない(明治の移築の様子・古代の宮・御所の中の様子は想像図で、細部は実物と異なる)。

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このページの決めごと

・社の由緒として書いているのは、社の公式の由緒・自治体の公式の案内・文献や発掘でわかっていることだけです。出典は全部このページに載せています。

・わかっていないことは「諸説あります」と正直に書きます。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけません。特定の社への参拝を呼びかけることもしません。

・「信仰されてきた願いごと」は、その社がどんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありませんし、社に順位もつけません。

・住所・主祭神・社格・創建・交通は、ウィキペディア日本語版の各記事(Template:神社の欄と代表座標)から機械的に取っています。おでかけの前には、必ず社の公式でお確かめください。