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石清水八幡宮いわしみずはちまんぐう

石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、京都府八幡市八幡高坊30にある神社です。まつられているのは八幡大神(誉田別命、比咩大神、息長帯姫命の総称)。社格は国史見在社 二十二社(上七社) 旧官幣大社 勅祭社 別表神社。創建は貞観2年(860年)と伝わります。

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この社のはじまり

京都で、真夜中に五百人が山を下りるお祭りがあるんだって。

いわしみずはちまんぐう。京都府の南、おとこやまという山の上にあります。

毎年9月15日に行われる、いわしみずさい。天皇の使いがおとずれる、ちょくさいです。あおいまつりと、かすがさい。この二つと並ぶ、さんだいちょくさいのひとつです。

午前3時ごろ、神さまを乗せた三つのごほうれんが、山の上の本殿を出ます。明かりは、たいまつとちょうちんだけ。およそ五百人の行列が、ふもとのとんぐうまで下りていきます。

ふもとまで下りて、いったいなにをするの。

朝の八時ごろ、ふもとを流れるほうじょうがわに、魚と鳥をはなします。つかまった生きものを、やまや川へかえす、ほうじょうという行いです。

川にかかる太鼓橋、あんごばしの上では、胡蝶の舞が奉納されます。そのそばで、参列した人たちも、魚を川へはなします。

はじまりは、じょうがん五年、西暦八百六十三年。いわしみずほうじょうえの名で始まりました。大分のうさじんぐうのほうじょうえに、ならったといわれます。

山の上の神さまが、年にいちど、川のほとりへ下りて、生きものを放つ。それが、この祭りのいちばん大事なところなのじゃ。

天皇の使いがおとずれるようになったのは、てんりゃく二年、九百四十八年とされます。明け方の儀式では、平安時代の作法が、いまも受けつがれています。

夕方五時から、神さまを送り返す儀式。行列はまた山を上り、夜の八時ごろ、本殿にもどります。まる一日をかけた祭りです。

行ったら、ほうじょうがわにかかる、あんごばしを見てください。祭りの朝に、魚がはなたれ、胡蝶の舞が奉納される橋です。

九月十五日の真夜中、山の神さまが、川のほとりへ下りてくる。千百六十年あまり前からの祭りなのじゃ。

京都の石清水八幡宮。駅のそばでおまいりして、帰ってきた。

そこは、本殿ではありません。石清水八幡宮の本殿は、男山の上にあります。

ふもとに建っているのは、高良神社などのおやしろです。山を登らなければ、本殿にはたどりつきません。

七百年前の随筆にも、おなじまちがいをした人がおる。つれづれぐさに出てくる、あるお坊さんじゃ。

法師は、ふもとのおやしろを拝んで、これでお参りはすんだと思い、山には登らずに帰りました。

それ、いまのぼくとまったくおなじじゃないか。

つれづれぐさの作者は、こう結んでいます。少しのことにも、案内してくれる人がいてほしいものだ、と。

そもそも石清水八幡宮は、山の上から始まりました。859年、行教というお坊さんが、宇佐はちまんぐうで神託を受けます。

みやこに近い男山の峰へ移り、国を守ろう。はちまんの神がそう告げたと伝えられ、翌年、男山に社殿が建てられました。

ふもとじゃなくて、はじめから山の上だったんだ。

いまの本殿は、1634年に徳川家光が建てなおしたもの。はちまんづくりという形の本殿としては、いま残るなかでいちばん古く、いちばん大きい。2016年に国宝になりました。

登ったら、ふたつの屋根のあいだにある谷を見てください。1580年に織田信長がおさめた、金色の雨どいがかかっています。

ふもとで引き返してはならぬ。このやしろは、山の上から始まったのじゃからのう。

この社のこと

信仰されてきた願いごと

その社が、どんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありません。

これはまつられている神さまから整理したものです。
・八幡(応神天皇)…武の神として広まり、全国でいちばん多い系統になった。
・神功皇后…身重のまま海を渡ったと伝えられ、安産の信仰がある。
社の公式に案内がある場合は、そちらが正しいものとお考えください。

この社の特集

祀られた神

石清水八幡宮

九州の八幡さまを

都のそばへ呼んだ

大安寺の僧・行教が、宇佐神宮の 八幡大神を男山へ勧請したのが始まり。 都の裏鬼門を守る社とされ、 ここからさらに各地へ八幡宮が広がった。

創建の年は諸説あります (『元亨釈書』などは貞観元年=859年、 『類聚国史』などは貞観2年=860年)

祭りと神事

石清水八幡宮

午前3時ごろ、松明と提灯だけで

約500人の行列が山を下りる

毎年9月15日の勅祭。葵祭・春日祭と並ぶ三大勅祭の一つ。 神さまを乗せた三基の御鳳輦が、山上の本殿から山麓の頓宮へ下りる。 朝8時ごろ、放生川のほとりで魚と鳥を放つ放生行事が行われる。 放生川に架かる安居橋の上では、胡蝶の舞が奉納される。 貞観5年(863年)に石清水放生会の名で始まり、宇佐宮の放生会にならったといわれる。

勅祭としては天暦2年(948年)からとされる。時刻はいずれも公式の次第の「ごろ」。参列は奉賛の申込制で、一般の見学については公式に記載がない。最新の案内は神社公式で確認。

出典

★神霊を乗せる御鳳輦(乗り物)と行列は描くが、神霊そのものは描かない。本編で『八幡大神』の名を出さず『神さま』と言っているのは、決まり8(神様の名前が出るコマにはその神様の絵を置く)に当たらないようにするため=この回の主役は祭典で、神様の姿ではない。/勅祭になった年(948年)は公式が『とされています』と書いているので、本編も『とされます』で言う。/放生会が宇佐宮にならったことは公式の次第に『といわれます』とあるので、本編も『といわれます』で言う。/石清水祭は歴史のなかで中断・再興をへているため、本編では『千百六十年つづいている』とは言わず『千百六十年あまり前からの祭り』とだけ言う。/時刻はすべて公式の次第の『頃』。雨の日は絹屋殿著御の儀が省かれる(次第に記載)。/胡蝶の舞の舞い手の年齢は公式の文に書かれていないので本編では言わない。/祭典への参列は奉賛の申込制(2026年は8月31日締切)。一般の見学ができるかは公式に書かれていないので、本編では言わず、概要欄で『参列は神社の公式で』とだけ伝える。奉賛の金額は年で変わるので言わない。
①859年は行教が宇佐で御託宣を受けた年で、山上に社殿が建てられたのは翌860年。②御託宣の言葉は社伝として伝えられているもので、同時代の記録で裏づけられた発言ではない。③『徒然草』の作者名は「吉田兼好」の呼び方をめぐって議論があるため、動画では名前を出していない。④徒然草に出てくる極楽寺は失われ、いま山麓に残るのは高良神社など。⑤山麓の社をお参りすることを「間違い」と決めつける意図はない。本社が山上にあること、徒然草が「山までは見ず」と書いていることを事実として紹介している。⑥黄金の雨樋は通常非公開のため、実際に見えるのは本殿のふたつの屋根が接する谷そのもの。⑦ご利益は約束していない。祭神や源氏一門との関わり、二所宗廟としての位置づけは論点が増えるため本編では扱っていない。

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このページの決めごと

・社の由緒として書いているのは、社の公式の由緒・自治体の公式の案内・文献や発掘でわかっていることだけです。出典は全部このページに載せています。

・わかっていないことは「諸説あります」と正直に書きます。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけません。特定の社への参拝を呼びかけることもしません。

・「信仰されてきた願いごと」は、その社がどんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありませんし、社に順位もつけません。

・住所・主祭神・社格・創建・交通は、ウィキペディア日本語版の各記事(Template:神社の欄と代表座標)から機械的に取っています。おでかけの前には、必ず社の公式でお確かめください。