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北野天満宮きたのてんまんぐう

北野天満宮(きたのてんまんぐう)は、京都府京都市上京区御前通今出川上る馬喰町にある神社です。まつられているのは菅原道真。社格は二十二社(下八社) 旧官幣中社 別表神社。創建は天暦元年(947年)と伝わります。

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この社のはじまり

京都の北野天満宮。菅原道真公に、直接話をきいてみたい。

ならば、ふたりで手を合わせて、名をよぶのじゃ。

菅原道真公さまー。

よんだか。われが菅原道真。平安時代に生き、のちに学問の神としてまつられたのだ。

天神さまという名で、親しまれておる。もとは学者で、漢詩や和歌を残した。

九百三年に、太宰府で生涯を閉じました。北野にまつられたのは、九百四十七年です。

われは、梅の花を愛した。京都を去るときにも、庭の梅との別れを歌によんだ。

学問の神さまにも、ふるさとで大切にしていた花があったんだ。

北野では、その梅を接ぎ木で受け継いできたと伝わる。同じ一本の幹が、ずっと生きてきたわけではない。

江戸時代の日記にも、本殿の前の梅を、とびうめとして大切にしていた様子が残ります。

いまは、学問の神として信仰されておる。梅もまた、われをしのぶ木として守られている。

境内で見るなら、本殿の前の梅。花の季節だけでなく、受け継がれてきた歴史にも目を向けられます。

人の生涯を伝えるやしろじゃ。梅の木にも、長い記憶が残っておるのう。

京都の北野天満宮。参道をまっすぐ進んでも、正面に本殿がない。

参道の正面に、本殿はありません。本殿は西へずらして建てられています。まっすぐ進んだ先にあるのは、地主社という別のおやしろです。

地主社は、この境内でいちばん古いおやしろです。北野天満宮ができるより前から、ここにありました。

あとからできた北野天満宮が、正面をよけたのじゃ。

北野の地は、御所から見て北西にあります。平安京をまもる天門にあたる場所とされ、たくさんの神々がまつられてきました。

神社ができる前から、神様がいた場所なんだ。

天暦元年、西暦947年。菅原道真公をまつるおやしろを北野に建てるように、というお告げがあり、この地にまつられました。

この地には、雷の神をまつる火之御子社もありました。菅原道真公はその雷の神と結びつけて考えられ、天満大自在天神と呼ばれるようになります。天神という呼び名は、ここから来ています。

学問の神さまって、ここではまだ出てこないんだ。

学問の神さまと呼ばれるようになったのは江戸のころ。寺子屋にそのお姿がかかげられてからじゃ。

いまの御本殿は、慶長12年、西暦1607年の建物です。本殿と拝殿をひとつの屋根でつないだ八棟造で、のちの権現造のもとになりました。国宝です。

行ったら、楼門をくぐって参道の正面を見てください。まっすぐ先にあるのが地主社。本殿は、そこから西へずれた所に建っています。

正面をよけて建てた形が、この土地のはじまりを、いまも伝えておるのじゃ。

この社のこと

信仰されてきた願いごと

その社が、どんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありません。

これはまつられている神さまから整理したものです。
・菅原道真…学問にすぐれた人として、のちに学びの神とされた。
社の公式に案内がある場合は、そちらが正しいものとお考えください。

この社の特集

祀られた神

北野天満宮

たたりを鎮めるために

建てられた社だった

まつるのは菅原道真。 大宰府で亡くなったあと、都で落雷や 災いが続き、道真のたたりとされた。 天暦元年(947年)、託宣によって 北野に社殿が建てられた。 いまは学問の神として知られる。

託宣は右京七条の多治比文子と、近江の神官の子・ 太郎丸に下ったと伝えられる。天満宮・天神社・菅原社は 全国に約1万2000社あり、太宰府天満宮とともにその中心とされる

神様に話しかけてみたシリーズ

菅原道真公

平安時代の人が

のちに学問の神へ

903年に大宰府で亡くなった道真公。 947年、北野にまつられました。 愛した梅は接ぎ木で受け継がれてきたと、 北野天満宮は伝えています。

神さまが実際にそう話したという記録ではありません。動画のせりふは、社の公式と展示解説をもとにした創作です。梅の継承は社が伝える由緒です。

出典

①神さまが実際にそう話したという記録ではありません。社の公式と展示解説をもとに、こちらでせりふを書きました。②菅原道真公は記紀成立より後の実在の人物です。人物への評価はしません。霊験も約束しません。③梅の継承は、北野天満宮が伝える由緒として紹介しています。同じ一本の幹が千年以上残ったとは言っていません。④飛梅が実際に飛んだとは断定しません。⑤神さまの姿は創作の挿絵であり、実在の人物の肖像を再現したものではありません。⑥由来には諸説あります。
①本殿が地主社の正面を避けているという説明は北野天満宮の公式(天神さまの七不思議)に拠る。ただし社殿の向きの理由には別の見方もありうるので、本編でも『もともとこの地には地主社があり、あとから社殿を建てた』という公式の言い方の範囲を出ていない。②創建の託宣を受けた人(多治比文子・太郎丸・最鎮ら)は名を出していない=耳で追えないうえ、伝えに幅がある。③菅公と火雷神の結びつきは『そう考えられるようになった』という伝えなので伝聞で止め、怨霊・祟りには一切触れていない(このチャンネルは御霊信仰を煽らない)。④実在の人物を祀る社なので、菅原道真という人物への評価・当時の政治のいきさつは本編でも概要欄でも述べていない。⑤『天神』の語はもともと天の神々(天神地祇)を指す語で、由来には諸説ある。本編は『呼び名はここから来ている』と一つの由来として述べるにとどめた。⑥学問の神としての性格が広まった時期は江戸期とされるが、公式も『由縁のひとつ』と書いているので断定していない。⑦ご利益は約束していない。⑧御土居(境内西側に残る秀吉の土塁・国史跡)は入れると論点が増えるので本編では扱わず、概要欄にも書いていない。

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このページの決めごと

・社の由緒として書いているのは、社の公式の由緒・自治体の公式の案内・文献や発掘でわかっていることだけです。出典は全部このページに載せています。

・わかっていないことは「諸説あります」と正直に書きます。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけません。特定の社への参拝を呼びかけることもしません。

・「信仰されてきた願いごと」は、その社がどんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありませんし、社に順位もつけません。

・住所・主祭神・社格・創建・交通は、ウィキペディア日本語版の各記事(Template:神社の欄と代表座標)から機械的に取っています。おでかけの前には、必ず社の公式でお確かめください。