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八坂神社やさかじんじゃ

八坂神社(やさかじんじゃ)は、京都府京都市東山区祇園町北側625にある神社です。まつられているのは素戔嗚尊・櫛稲田姫命・八柱御子神。社格は二十二社(下八社) 旧官幣大社 別表神社。創建は伝・斉明天皇2年(656年)と伝わります。

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この社のはじまり

京都で、秋分の日に遠くのお祭りを拝むんだって。

やさかじんじゃ。京都の東、ぎおんの町にあります。

2026年は9月23日、午前10時ごろから。本殿で、秋分のお祭りが行われます。

本殿での祭典のあと、遠くの皇居のお祭りを拝む。これが、秋季皇霊祭遥拝式です。

遠くのお祭りって、誰をまつっているの。

皇居のこうれいでんで、ご先祖をまつるお祭りです。やさかじんじゃでは、本殿の祭典に続いて拝みます。

実は春分の日にも、本殿の祭典から遥拝式へ。春と秋に、同じ順序のお祭りがあるのです。

宮中では、春と秋に皇霊祭があります。春秋二季の皇霊祭が定められたのは、明治11年の1878年です。

秋分の日は、そせんをうやまい、亡くなった人々をしのぶ日じゃ。日付にも、お祭りの意味があるのじゃ。

いまも秋分の日に、皇居ではご先祖をまつります。京都のこのやしろからも、遠くへ祈りを向けるのです。

この式の終了時刻は、公表されていません。同じ日の午前11時ごろには、別のそれいしゃの秋祭りがあります。

祭典が行われる本殿は、大きなひとつの屋根で、本殿と拝殿をおおっています。

秋分の日のやさかじんじゃは、本殿のお祭りから遥拝へ。ご先祖をおもう日を、祈りの順序で伝えておるのじゃ。

京都の八坂神社の神様って、もとは追放された神なんだって。

やさかじんじゃ。京都の東山、祇園の町のすぐそばにあります。

中の御座にまつられているのが、すさのおのみこと。古事記では、いざなぎのみことが顔を洗いきよめたとき、鼻から生まれた神です。

三はしらのきょうだいの一柱で、姉が天照大御神。古事記では、海原を治めよと命じられました。のちに追放された乱暴者が、八岐大蛇を退治して英雄になります。

え、じゃあ最初は、ちゃんとまかされていたんだ。

ところが、母のいる国へ行きたいと泣きつづけたため、父のいかりをかって追放されます。

そのあと、姉のいる高天原へのぼって、あばれたのじゃ。天照大御神はおそれて、天の岩屋に隠れてしまった。

高天原からも追われ、すさのおのみことは出雲へ下ります。

そこで出会ったのが、八つの頭と八つの尾をもつ、やまたのおろちでした。

いけにえにされるはずだったくしなだひめを櫛に変えて髪にさし、大蛇を退治します。尾から出てきた大刀が、くさなぎの大刀です。

くしなだひめを妻にむかえ、すがの地にとどまって宮を作りました。八雲立つ、ではじまる歌をよんだと伝えます。

行ったら、中の御座にすさのおのみこと、東の御座にくしなだひめがまつられていることを思い出してください。

あばれ者と英雄は、同じ神の別の顔じゃ。

京都の八坂神社。祇園祭って、いったいなんのお祭りなんだろう。

場所は、京都市の東山、祇園です。京阪の祇園四条駅から歩いてごふんほど。四条通りを東へ進んだ、突き当たりです。

祇園祭は、この八坂神社のお祭りです。はじまりは、西暦869年。みやこで疫病がひろがり、多くの人がなくなったときでした。

はじめから、にぎやかな祭りだったのではないぞ。疫病がしずまるよう願う祭りじゃ。

このとき立てられたのが、66本の矛です。当時の日本には、66の国がありました。その数にちなんだものです。

国の数だけ、矛を立てたんだ。

そして、このやしろから神輿をかつぎ出し、神泉苑という庭園まで送って、災いが取りのぞかれるよう祈りました。

明治のはじめまで、このやしろは八坂神社ではなく、祇園社と呼ばれていました。祇園という町の名前は、ここから来ています。ただし、やしろのはじまりには諸説あります。

町の名前のほうが、あとなんだ。

祭りは応仁の乱でいちど途切れましたが、およそ30年後によみがえりました。いまも7月のひと月をかけて、行われています。

山と鉾が、祭りの主役に見えるじゃろう。あれは神輿が通る道を清めるものと、考えられておる。

行ったら、本殿のちかくにある、エキジンジャという小さなおやしろを見てください。祇園祭の最後の日、ここの茅の輪をくぐって、ひと月の祭りが終わります。

千年をこえて、いまも続いておる。それだけ、疫病がおそれられたということじゃ。

この社のこと

信仰されてきた願いごと

その社が、どんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありません。

これはまつられている神さまから整理したものです。
・須佐之男(素戔嗚)…疫(えき)を払う神として広く信仰された。
・奇稲田姫…八岐大蛇の伝えに出てくる姫神。素戔嗚の后。
社の公式に案内がある場合は、そちらが正しいものとお考えください。

この社の特集

祭りと神事

八坂神社

六十六本の矛を立てたのが

千百年つづく祭のはじまり

貞観十一年、疫病がやまなかった。 国の数と同じ六十六本の矛を立て、 そこへ諸国の穢れを移し、神輿三基を送って 御霊会を行った。これが祇園祭の起こりとされる。 明治までは祇園御霊会と呼ばれた。 応仁の乱で三十三年とだえ、町衆が建て直した。

起源を貞観十一年とすることには 諸説があります。山鉾がいつ加わったかも はっきりせず、いまの巡行の形は 室町時代に整ったとみられます。

出典

宮中の皇霊祭の制定年と八坂神社の遙拝開始年を区別。当地の開始年は未確認。/今年の日時は2026年9月の公式トップの今月の案内と年中行事で照合。秋分の日は年で変わる。/遙拝式の終了時刻・場所の詳細・一般参列の条件は未記載。11時の祖霊社秋季祭をこの式の締めや終了とは扱わない。参列・見学は神社の公式で。/皇居内の秘儀は想像して描かず外観イメージにとどめる。祈る方角や人数は断定しない。/本編YasakaJinjaの主題(869年の疫病・66本の矛・祇園祭)を繰り返さない。
古事記と日本書紀では話の細かいところが違います。この回は古事記の伝えにそって、出典を明言して述べています。八坂神社は明治より前は祇園社と呼ばれていました。ご利益は約束していません。ナレーションでは、耳で分かるように一部の語をひらがなに開いています。
①八坂神社そのもののはじまり(創祀)は、斉明天皇2年(656)の伊利之による奉斎とする説と、貞観18年(876)に僧・円如がお堂を建てたとする説があり定まっていない。本編08でも『諸説あります』と明言した。②山鉾巡行が神輿の道を清める意味を持つという説明は『考えられている』という言い方が公式・解説の共通で、断定できないため本編11でも『考えられておる』と伝聞で止めた。③『矛』は現在の山鉾のことではなく、869年当時に立てられた矛。66という数は当時の国の数にちなむ。④7月の行事の日程・山鉾の基数は年によって変わるため、具体の日付・基数は本編で言っていない。⑤疫神社の境内での正確な位置(西楼門との左右関係)は公式に明記がないため『本殿のちかく』とだけ言い、方角は言っていない。⑥ご利益を約束する言い方はしない。疫病の被害を煽る書き方もしない。

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このページの決めごと

・社の由緒として書いているのは、社の公式の由緒・自治体の公式の案内・文献や発掘でわかっていることだけです。出典は全部このページに載せています。

・わかっていないことは「諸説あります」と正直に書きます。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけません。特定の社への参拝を呼びかけることもしません。

・「信仰されてきた願いごと」は、その社がどんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありませんし、社に順位もつけません。

・住所・主祭神・社格・創建・交通は、ウィキペディア日本語版の各記事(Template:神社の欄と代表座標)から機械的に取っています。おでかけの前には、必ず社の公式でお確かめください。