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花窟神社はなのいわやじんじゃ

花窟神社(はなのいわやじんじゃ)は、三重県熊野市有馬町上地130番地にある神社です。まつられているのは伊弉冉尊、軻遇突智尊。創建は不詳と伝わります。

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この社のはじまり

三重の熊野に、おやしろが建っていない神社があるんだって。

拝む先に、建物はありません。ご神体は岩そのもの。高さは45メートルあります。

この岩を祭るやり方は、およそ1300年前の日本書紀に書かれています。

日本書紀には、イザナミノミコトを紀伊の国の熊野の有馬村に葬ったとあります。

そして、イザナミノミコトをまつるとき、花の季節には花を供えたと続くのじゃ。

鼓や笛を鳴らし、旗をかかげ、歌い舞って祭ったとも書かれています。

はなのいわやという名前も、その花から来てるのか。

そう伝えられておる。社殿は今もなく、熊野灘を向いた岩が、そのままご神体じゃ。

そして毎年、2月2日と10月2日に、花を供える祭りがいまも続いています。お綱かけ神事です。

もち米のわらを束ねてつくった長さおよそ170メートルのおおづなを、岩のてっぺんから境内の南のすみまで張り渡します。綱には季節の花と扇が下がります。

日本書紀に書いてあるまつり方と、ほとんど同じじゃん。

行ったら、境内の南のすみに立つ御神木を見てください。あのおおづなの、もう一方の端が結ばれている木です。

千三百年前の本に書かれたことが、いまも目の前で続いておる。それが、このやしろじゃ。

この社のこと

信仰されてきた願いごと

その社が、どんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありません。

これはまつられている神さまから整理したものです。
・伊弉諾・伊弉冉…国生みの二柱。夫婦の神とされる。
・火之迦具土(火伏せ)…火の神。火事を出さないよう願われた。
社の公式に案内がある場合は、そちらが正しいものとお考えください。

出典

①『日本書紀』に出てくるのは「紀伊国の熊野の有馬村に葬りまつる」であって「花窟」という社名そのものではない。だから本編でも「日本書紀に花窟と書いてある」とは言わず、書かれているのは葬った場所と祭り方だと言っている。②「花窟」の名が『花を以て祭る』に由来するという説明は熊野市・熊野市観光公社の記載によるもので、本編でも[08]で「そう伝えられておる」と伝聞で止めた。③この社を「日本最古の神社」と呼ぶ紹介は多いが、比較の基準がはっきりしないため本編では言っていない。④向かいにある高さ18メートルの岩を軻遇突智尊の墓所とする説明は資料により幅があるので本編では触れていない。⑤お綱かけ神事の文化財指定は、熊野市公式が「三重県の無形民俗文化財」と明記しているためそれに従い、本編では指定そのものに触れていない(国の選択無形民俗文化財とする記述も見かけるが、公式で確認できないため使わない)。⑥綱の長さ・稲藁の束数・幡の長さは年によって変わりうるので「およそ」と幅のある言い方にした。⑦ご利益は約束していない。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけてもいない。伊弉冉尊の死の場面(火の神を生んで身を焼かれた)は原典にあるが、絵にも言葉にもしていない。

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このページの決めごと

・社の由緒として書いているのは、社の公式の由緒・自治体の公式の案内・文献や発掘でわかっていることだけです。出典は全部このページに載せています。

・わかっていないことは「諸説あります」と正直に書きます。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけません。特定の社への参拝を呼びかけることもしません。

・「信仰されてきた願いごと」は、その社がどんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありませんし、社に順位もつけません。

・住所・主祭神・社格・創建・交通は、ウィキペディア日本語版の各記事(Template:神社の欄と代表座標)から機械的に取っています。おでかけの前には、必ず社の公式でお確かめください。