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賀茂御祖神社かもみおやじんじゃ

賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は、京都府京都市左京区下鴨泉川町59にある神社です。まつられているのは玉依姫命・賀茂建角身命。社格は式内社(名神大) 山城国一宮 二十二社(上七社) 旧官幣大社 勅祭社 別表神社。創建は奈良時代中期と伝わります。山城国の一之宮です。

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この社のはじまり

京都の下鴨神社。街のまんなかに、古代の森がまるごと残ってる。

森が先にあって、おやしろはあとから、その森の中に建てられました。

糺の森、といいます。ケヤキ、エノキ、ムクノキ。古代のやましろの野原に生えていた木が、いまも自生しています。樹齢200年から600年の木が、およそ600本あります。

京都にできた森ではない。京都のほうが、この森のまわりにできたのじゃ。

1990年から始まった発掘調査で、縄文時代、弥生時代、古墳時代の住まいのあとや土器が見つかりました。

神社ができる前から、人がここに集まってたんだ。

おやしろについてのいちばん古い記録は、きげんぜん90年に、瑞垣を直したというものです。最初の記録が、すでに建物を直した話なのです。

森はもっと広く、150万坪あったと伝えられます。いまは3万6千坪。戦乱や土地の召し上げで、少しずつ削られました。

40ぶんの1じゃないか。よく残ったな。

削られはしたが、植えかえてはおらん。古代と同じ木々が、代を継いでおるのじゃ。

いっぽう、おやしろは1036年から、21年ごとに建てかえられてきました。いま建つ東西の本殿は、1863年のもので、国宝です。

行ったら、参道わきの太い木を見上げてください。樹齢600年ちかい木があります。いまの本殿より、その木のほうが古いのです。

作りかえられたのは、やしろのほう。森は、ずっとここにおるのじゃ。

この社のこと

信仰されてきた願いごと

その社が、どんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありません。

これはまつられている神さまから整理したものです。
・彦火火出見・豊玉姫(海幸山幸)…海の宮の伝えを持つ神々。安産の信仰がある。
・賀茂別雷・賀茂の神…雷の神。都を守る社としてあつく信仰された。
社の公式に案内がある場合は、そちらが正しいものとお考えください。

出典

①創建の年代は不明で、紀元前90年は『賀茂神宮造営記』が伝える社殿修造の記録であって創建年ではない。本編でも『いちばん古い記録は』と言い方を限定した。②『糺』という名の由来には諸説がある(偽りを糺す/二つの川の合流点の『只洲』/清らかな水の『直澄』など)ので、本編では由来に触れていない。③かつて150万坪という広さは伝えで、公式も『およんでいた』と書いているため『伝えられます』で止めた。減少の理由(応仁の乱の焼失・明治の上知令)は公式の記述ではないので固有名を出さず一般的な言い方にした。④『森が先で社があと』は、糺の森が縄文時代から続く森であることと、境内の発掘で縄文・弥生・古墳時代の遺構が出ていることに基づく公式の説明の範囲にとどめている。⑤発掘で出た遺構は住まいや祭祀の跡で、いまの下鴨神社の信仰と直接つながることが証明されているわけではない。本編でも『人が集まっていた』までしか言っていない。⑥樹齢は目安であり、個々の木の年数を測ったものではない。⑦ご利益は約束していない。祭神(賀茂建角身命・玉依媛命)の神話は論点が増えるため本編では扱っていない。

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このページの決めごと

・社の由緒として書いているのは、社の公式の由緒・自治体の公式の案内・文献や発掘でわかっていることだけです。出典は全部このページに載せています。

・わかっていないことは「諸説あります」と正直に書きます。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけません。特定の社への参拝を呼びかけることもしません。

・「信仰されてきた願いごと」は、その社がどんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありませんし、社に順位もつけません。

・住所・主祭神・社格・創建・交通は、ウィキペディア日本語版の各記事(Template:神社の欄と代表座標)から機械的に取っています。おでかけの前には、必ず社の公式でお確かめください。