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鶴岡八幡宮つるがおかはちまんぐう

鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は、神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1番31号にある神社です。まつられているのは応神天皇・比売神・神功皇后。社格は旧国幣中社 別表神社。創建は康平6年(1063年)と伝わります。相模国の一之宮です。

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この社のはじまり

神奈川で、午後1時ごろに三基のおみこしが進むんだ。

鶴岡八幡宮。神奈川県鎌倉市、山のふもとにあります。

毎年9月15日の例大祭は、このやしろで、一年で最も大切な祭りです。

午後1時ごろ、三基のおみこしが若宮大路を進む、神幸祭が行われます。

おみこしは、鳥居の下まで行ってなにをするの。

午後の行列は、二ノ鳥居へ。そこに、おみこしを迎えるおたびしょを設けます。

そこで奉納されるのが、八乙女の舞。まいては緑の千早と、赤いはかま姿です。

1187年、源頼朝が、生きものを放つ放生会と流鏑馬を始めました。

旧暦の八月十五日の祭りを、いまは九月じゅうよっかから十六日に行うのじゃ。

例大祭では、神さまに鈴虫も供えます。祭りの場に、秋の虫の音が響きます。

行列の混雑案内は、午後3時ごろまで。翌日の十六日には、鈴虫を自然へ放ちます。

祭りにゆかりのある、二ノ鳥居。おみこしを迎え、舞を奉納する場所です。

九月十五日の例大祭は、神さまが鎌倉の町へ出る、お祭りなのじゃ。

神奈川で、九月十六日に馬の上から的を射るんだ。

鶴岡八幡宮。神奈川県鎌倉市、山のふもとにあります。

毎年九月十六日、流鏑馬神事が行われます。走る馬から、三つの的を射抜きます。

午後1時ごろ、神事が始まります。弓を持つ人が、昔の狩りの装束で、馬場を駆け抜けます。

馬の上で弓を引くのは、なんのためなの。

世の中の平和を願う神事です。同じ日の午後5時ごろには、鈴虫を放つ祭りもあります。

放つのは、例大祭で神さまに供えた鈴虫。小さな命を、境内の自然へ返します。

1187年、源頼朝が、生きものを放つ放生会と流鏑馬を始めました。

もとは旧暦の八月十五日。いまは九月じゅうよっかから十六日の、祭りの一つなのじゃ。

いまの流鏑馬は、小笠原の一門が奉仕します。弓と馬の作法を、受け継ぐ人々です。

夕方のこの祭りでは、舞を奉納したあと、池のほとりに鈴虫を放ちます。

祭りにゆかりの場所は、流鏑馬馬場。境内に、馬が駆け抜ける道があります。

九月十六日の流鏑馬神事は、馬上の弓に平和への願いを託す、お祭りなのじゃ。

神奈川の鶴岡八幡宮。鎌倉の真ん中に、やたらまっすぐな道があるんだよね。

場所は神奈川県鎌倉市の雪ノ下。JR鎌倉駅の東口から、歩いて10分。江ノ電の鎌倉駅からも、同じくらいです。

海の由比ガ浜から、このやしろまで、およそ2キロ。一本のまっすぐな道がのびています。若宮大路です。

先に動いたのは、町ではなくこのやしろのほうじゃ。やしろが決まってから、町が造られたのじゃ。

1180年、治承4年。源頼朝が鎌倉に入り、海のそばにあったこのやしろを、山のふもとの今の場所へ移しました。

やしろのほうが先に引っこしたんだ。

2年後の1182年。海とやしろを結ぶ、まっすぐな道が造られました。京都の朱雀大路を手本にしたと伝えられています。

吾妻鏡によると、頼朝はみずから指揮を取り、家来たちにも土や石を運ばせました。

このとき妻の政子は、身ごもっておった。安産の祈りも兼ねていたと伝えられておる。

道をつくるのが、祈りにもなるんだ。

この一本を軸にして、鎌倉の町は造られました。だから今も、町の中心にまっすぐな若宮大路が残っています。

行ったら二の鳥居から三の鳥居までの、一段高い道も歩いてみてください。ダンカズラといい、やしろに近づくほど、道幅がせまくなります。

せまくなる理由には諸説ある。じゃが、この道は800年たっても、まっすぐなままじゃ。

この社のこと

信仰されてきた願いごと

その社が、どんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありません。

これはまつられている神さまから整理したものです。
・八幡(応神天皇)…武の神として広まり、全国でいちばん多い系統になった。
・神功皇后…身重のまま海を渡ったと伝えられ、安産の信仰がある。
社の公式に案内がある場合は、そちらが正しいものとお考えください。

この社の特集

移された社

鶴岡八幡宮

いまの場所を決めたのは

源頼朝である

康平六年、源頼義が鎌倉の由比郷鶴岡に社を勧請した。 治承四年十月十二日、鎌倉に入った源頼朝が、 社を北の小林郷北山、いまの場所へ移した。 そこを起点に参道を引き、幕府の中枢の建物を並べていった。 もとの社地は、いまも由比若宮(元八幡)として残っている。

頼義が勧請したもとの社については、京都の石清水八幡宮とも、 河内源氏の氏神である壺井八幡宮ともいわれ、諸説あります。

祭りと神事

鶴岡八幡宮

3基の神輿が二ノ鳥居へ

御旅所で八乙女が舞う

毎年9月15日の例大祭。 神幸祭では3基の神輿が若宮大路を進む。 二ノ鳥居の御旅所で、緑の千早と緋袴の八乙女が舞う。 1187年の放生会と流鏑馬が、祭りのはじまり。

2026年の交通案内は9月15日午後1〜3時ごろ。交通混雑の時刻で、祭典終了時刻ではない。参列・見学の条件は神社公式で確認。

出典

今年の日程は2026-08-18付公式案内で確認。/午後3時は交通混雑の案内の終端で、還御の時刻ではない。締めの儀式の正確な時刻は公式本文にないため捏造しない。/流鏑馬の技の説明は翌日の別回に残し、今回は神輿渡御と八乙女舞を主役にする。/見学条件・料金は断定せず神社公式へ案内する。/神霊・御神体そのものは描かない。源頼朝は歴史上の人物の創作イラストとし、肖像を写さない。
13時は神事開始。騎射の開始を13時と断定しない。/年次日程は鎌倉市観光協会の2026年8月31日更新案内で確認。/旧暦から毎年同じ日へ換算されるとは言わない。中断なく800年続くとも言わない。/鈴虫の祭り名は神社公式の鈴虫放生祭を採用。/見学条件・料金は断定せず公式案内へ。/歴史上の人物は創作イラスト。神霊・御神体そのものは描かない。/鈴虫放生祭の開始年は公式に明記がない(公式は「近年」と記す)=年を書かない。
①源頼朝は実在の人物なので、このチャンネルの決まりどおり人物への評価は本編でも概要欄でも一切していない(事実だけを述べた)。②段葛の道幅がせまくなる理由は『遠近法で長く見せるため』『攻め込まれにくくするため』など諸説あるので、13で『諸説ある』と明言し、どれとも断定していない。③段葛の具体的な道幅(9m/6m などの数値)は出典によって食い違うので数字を言っていない。④いまの段葛は中世当初のものではなく、近世以降に何度も作り直されている。本編では『一段高い道』という形の説明にとどめ、『鎌倉時代のまま残っている』とは言っていない。⑤創建(康平6年=1063年 源頼義の勧請)は公式が年を明記していない書き方なので、本編では年を言わず『海のそばにあった』とだけ述べた。⑥若宮大路の長さは公式・観光協会が『約2km』、Wikipediaが『約1.8km』と幅があるので『およそ2キロ』とした。⑦源平池・大銀杏・実朝の事件など、1本1論点にするため今回は触れていない。とくに1219年の事件は人が命を落とす話なので扱わない。⑧ご利益は約束していない。参拝時間・初穂料など変わる数字も入れていない。

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このページの決めごと

・社の由緒として書いているのは、社の公式の由緒・自治体の公式の案内・文献や発掘でわかっていることだけです。出典は全部このページに載せています。

・わかっていないことは「諸説あります」と正直に書きます。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけません。特定の社への参拝を呼びかけることもしません。

・「信仰されてきた願いごと」は、その社がどんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありませんし、社に順位もつけません。

・住所・主祭神・社格・創建・交通は、ウィキペディア日本語版の各記事(Template:神社の欄と代表座標)から機械的に取っています。おでかけの前には、必ず社の公式でお確かめください。