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多賀大社たがたいしゃ

多賀大社(たがたいしゃ)は、滋賀県犬上郡多賀町多賀604にある神社です。まつられているのは伊邪那岐命・伊邪那美命。社格は式内社(小) 旧官幣大社 別表神社。創建は伝・上古と伝わります。

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この社のはじまり

滋賀のたがたいしゃ、伊勢の神さまの親がいるってほんと?

たがたいしゃ。滋賀県の東部、多賀町にある神社です。

まつられているのは、いざなぎのおおかみと、そのつまのいざなみのおおかみです。

多賀大社の由緒によると、この2柱が、天照大神を生んだと伝わります。

お伊勢さんの天照大神の、親神さまたちなのじゃ。

だから、伊勢と多賀はつながりがあるんだね。

むかしから、おいせまいらば、おたがへまいれ、と歌われてきました。

1588年、秀吉は母の病気平癒を願い、こめいちまんごくを奉納しました。

その奉納で、太閤橋がつくられたと伝わるのじゃ。

秀吉ゆかりの橋だから、太閤橋って呼ばれてるんだね。

分祀された神社は、全国に239社あります。

参拝したら、境内にあるじゅみょういしも見てください。

延命長寿の神さまとして、いまも大切にされておるのじゃ。

この社のこと

信仰されてきた願いごと

その社が、どんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありません。

これはまつられている神さまから整理したものです。
・伊弉諾・伊弉冉…国生みの二柱。夫婦の神とされる。
社の公式に案内がある場合は、そちらが正しいものとお考えください。

出典

『お伊勢参らばお多賀へ参れ』は古くから伝わる俗謡・言い伝え。史実として断定せず、本編は『歌われてきました』と伝聞で言う。公式サイトには俗謡そのものの記載がないため、出典はWikipediaとした。/伊邪那岐・伊邪那美が天照大神を生んだという話は、多賀大社の由緒が伝える内容(公式サイトが『古事記』を引いて説明)。『古事記』本文の詳しい筋(天照大神は伊邪那岐が黄泉国から戻り禊をした際に単独で生まれるとする記述もある)とは異なる整理のため、本編では出典を『古事記によると』ではなく『多賀大社の由緒によると』とし、断定せず『伝わります』で言う(2026-09-24 チャッピー確認の指摘を反映)。/太閤橋・奥書院庭園は、秀吉が奉納した米一万石によって築造されたと公式サイトが『伝えている』話。本編は『そのお金で』ではなく『その奉納で』と言い、米の奉納であることを崩さない(2026-09-24 チャッピー確認の指摘を反映)。1588年は米一万石奉納の年(天正十六年)であり、太閤橋そのものの完成年ではない(他の資料には別の年が伝わるため、本編・題名では橋の完成年として言い切らない)。『太閤橋』という名の由来そのものは公式サイトに明記が無いため、本編10は『秀吉ゆかりの橋だから、太閤橋って呼ばれてる』と伝聞寄りの言い方にとどめる。/重源が二十年の寿命を授かったという寿命石の話は寺社に伝わる伝承。本編では年代を言わず『とされています』の範囲にとどめる。/伊邪那岐大神・伊邪那美大神・天照大神は、いずれもコマ絵部品(神様の絵)がある柱のみ実名で出し、その絵を該当コマに置く(03=伊邪那岐・伊邪那美、04=天照大神)。/分祀社239社・年間参拝者約170万人は公式サイトの数字(2026-09-24確認時点)。/絵は説明用の挿絵で、実物の写しではない(社殿・太閤橋・寿命石の細部は実物と異なる)。

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このページの決めごと

・社の由緒として書いているのは、社の公式の由緒・自治体の公式の案内・文献や発掘でわかっていることだけです。出典は全部このページに載せています。

・わかっていないことは「諸説あります」と正直に書きます。参拝の作法を正しい・間違いと決めつけません。特定の社への参拝を呼びかけることもしません。

・「信仰されてきた願いごと」は、その社がどんな願いごとで信仰されてきたかです。かなうことをお約束するものではありませんし、社に順位もつけません。

・住所・主祭神・社格・創建・交通は、ウィキペディア日本語版の各記事(Template:神社の欄と代表座標)から機械的に取っています。おでかけの前には、必ず社の公式でお確かめください。